このブログには翻訳記事は書かないと言ったことを忘れてはいません。
が、時として人は使えるものは使わねばならぬことがあるものなのです。

2010年12月1日にA.J. Sacherが書いた興味深い記事を見つけたのは世界選手権の少し前のことでした。
いくつか感銘を受ける内容があったので、時間を工面して拙訳をモノし、公開することにしました。
原文はこちらです。

http://hudbot.wordpress.com/2010/12/01/thiswasfivethousandwordsinfivehours/
http://hudbot.wordpress.com/2010/12/02/flesheatingbacteriaforbreakfast/

上は斎藤プロ資格停止の一報を受けて書かれた12/1の記事であり、下は翌12/2に書かれた補足です。
本記事ではこの両方を訳しています。

DISCLAIMER
わたし自身は著者の意見の全てに諸手を挙げて賛成というわけではありません。
事実誤認のところ、考察が不足なところ、などなど。
しかし、そういうことを差し引いてもためになる考察が多く含まれていると思うので、起きてしまったことへのフォローとしてではなく、これから起きるかもしれないことへの参考のためにご紹介しようと思います。
センシティブな問題に関する記事です。関連する話題を扱っていない場への無闇な拡散はご遠慮頂ければ幸いです。
あと、チョサッケンとか大目に見て頂けると幸いです。ダメっすか。

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マジックの記事:道徳性相対主義(*1)と斎藤の資格停止

[著者註:このブログにはマジックのことは書かないと言ったことを忘れてはいません。が、時として人は自らのメッセージを知らしむるに使えるものは使わねばならぬことがあるものなのです。以下はわたしのメッセージです。わたしはこれまで8本の記事を書きましたが(*2)、そのうちのいくつかはまあまあの出来だったと思います。それらを公にモノするに費やした労力の見返りに、ちょっとばかりわがままを言わせてもらっても良いのではないかと思うのですが。いずれにせよ、ここの読者の99%はマジック・プレイヤーなのですから、遠慮することでもないですよね。むしろこの記事が何を言ってるのかさっぱりな方々にお詫びする方を選びたいところです。TCGPlayer(*3)には、わたしには競技技術に関する記事しか望んでおらず、「今日の出来事」とか「お話のためのお話」みたいなのはいらないと言われてまして、こんなもの書いても原稿料は一切出ないのですが。まあ、それがわたしの選んだ人生ってやつです。
これは、すごく良く書けてはいません。思ったより長くなってしまったのと、時宜を失わないうちに出したかったということがありまして。いつもの出版用の記事よりも強い調子になってしまってもいます。
これからわたしはリッチモンドに行って、それから日本ですので、Suspension Story #3, Part 4(*4)はたぶんちょっと待って頂かねばならないでしょう。それまでひとまずはこちらを。]

■第一章 はじめに

ご存知無い方のために申し上げますと、斎藤友晴はグランプリ・フィレンツェにおいて失格の裁定を受けました。彼は自分のバックパックで対戦相手を叩きのめして失神に至らしめたというのはウソで本当は遅延行為の故です。その後彼のアピールが精査され、DCIから18ヶ月の資格停止処分を受けました。

わたしはこの記事で斎藤聖者説を展開しようというわけではありません。彼がわたしの友達だからという理由で弁護しようというのでもなければ、読者を丸め込んで彼の後に続く怒れる群集の行進に引きずり込もうというプロパガンダでもありません。そうした手合いに乗るのは、事実を論理的に見ることも自分で結論を導くこともできない、心の弱さの発露です。その手の低俗な趣味に迎合する気はありません。この記事は、誰が正しくて誰が誤っているかという話でもなければ、ましてや彼が有罪か無罪かという話でもありません。わたしは全知全能ではありません。わたしの知る限りにおいて、その点はジャッジもDCIも同様です。本来はそうあるべきでしょうが。この記事は単に、道徳性相対主義と共感(*5)能力に関するエッセイであり、みなさんにも考えて頂きたくて書くものです。

この種の感情的な話題では、イカサマ師とされる被疑者に「偽善者め!」とかなんとか毒づきつつ殊更に叩く方向に流れがちです。しかしながら、ここはFOXニュース(*6)ではありませんし、我々も単細胞ではありません。ある種の風潮が広まっているようですが、それについて立ち止まって良く考えてみることも大事ではないでしょうか。その結果得られたのがいささか突飛な可能性だったとしても、それは一考に値します。

■第二章 ピアジェさん登場です

[著者註:この記事の全体構成と、わたしのやりたい説明の都合やら話の流れやらの関係で、ここでこの話をしないといけません。残念ながら、この記事全体でここが最も異論が多く理解に苦しむ章でしょう。ご一読頂いてわたしが頭がおかしいか先天的な障害の類であろうとお考えの向きは、この章はすっ飛ばしてわたしの意見を虚心坦懐に読み進めて下さい。後の章でいろいろ出てきたときにここを読み返して頂ければ結構です。つまり、この章でわたしが展開する極端な主張に賛同できないが故にこの記事そのものを放り出さないで頂きたいのです。ご理解とご協力に感謝します。]

資格停止と聞いてすぐさま叩き始める輩の道徳的立場を表すのに最も適切なのは「幼稚」の一語でしょう。斎藤尊師を盲目的に祭り上げ、一抹の疑念もなく彼の無実を言い立てる一部の人々も似たり寄ったりです。彼を有罪と断ずる人々と同様、彼らの言にも一顧の余地もありません。

ではここで心理学講座の時間です。諸君、わたしのことはFeel-Good教授と呼んでくれたまへ。かようにわたしはディスコ・クラブのDJ時代に(*7)いまいちだったギグで使い切れなかった名刺を、素晴らしき教育分野における華々しいキャリアで使い回すのでした。

ジャン・ピアジェ(*8)が提唱したこの道徳性発達理論は革命的なものでした。ローレンス・コールバーグ(*9)とかいうのがそれについて詳しく解説しています。彼らが「ザ・サイコー・ペア ラリーとジャン」(*10)という名前でデビューしたのは間違いないのですが、ちょっとソースが見つかりません。

この理論では、2つずつ3つのレベルに分かれる6つの段階があるとされています(*11)。

レベル1:慣習以前
1) 罰に対する服従と畏怖 (どうしたらメンドウから逃れられるだろうか?)
2) 自己中心志向 (それでどんな得があるだろうか?)

レベル2:慣習的
3) 順応 (人々がして欲しいであろうと思えることをすることで彼らを喜ばせようとする)
4) 絶対的権威 (法こそ究極の道徳)

レベル3:脱慣習的
5) 社会的契約 (この世界には数多くの異なる意見と価値観があり、相互尊重が重要である)
6) 普遍的倫理原理 (正義と共感に基づく視点)

斎藤を盲目的に叩くインターネットの住民は、単に道徳性発達の第4段階に留まっているに過ぎない、とわたしは見ています。

「これがルールであり、俺が物事を考える基準だ。ヤツが捕まったってことは、ヤったってことだ。処罰されたってことは、それに値することをしたってことだ。」

この状況でこのように考える者は誰であれよほどの間抜けです。あるいは、先入観に囚われずに自分の判断を下すよりも無教養に振舞う方が好みなんでしょう。実はまだ第3段階にしか達しておらず、単に知らないおじさんと同じように振舞ってるだけかもしれません。しかしながら、他人の立場になって考えられるようになるには、第3段階や第4段階を超える能力が要求されます。すべてに黒白が付けられないことを理解するには共感する力が必須です。

「ハインツのジレンマ」をご覧下さい。


[ある婦人が病で死の床にあります。ある科学者がそれを治す薬を開発しました。作るには200ドルしかかからないのですが、彼はそれを2,000ドルで売っています。婦人の夫、ハインツ氏は、あちこちに頭を下げて回りましたが、1,000ドルしか工面できませんでした。彼は科学者に、値段を負けてくれるか、残りを後払いにしてくれるよう懇願しましたが、科学者は「ダメだ」とにべもありません。絶望したハインツ氏は科学者の研究室に押し入り、妻のために薬を盗みました。

さて、ハインツ氏はその店に押し入って奥さんのために薬を盗むべきだったのでしょうか? そうすべき/そうすべきでない理由は何ですか?]


この問いに、窃盗は違法だからすべきでないと答えるような人物の見識を疑います。高位の普遍的倫理原理に照らして窃盗は悪いと言うのなら分かりますが、法律にそう書いてあるから悪いはないでしょう。

さて、斎藤が悪いのはルールにそう書いてあるからですか? 確かに、マジックのマッチに勝つことと、妻が死ぬこととを同列に考えるのはどうなんだという指摘はあるかもしれません (明らかにマジックの方が遥かに重要です)。しかしながら、人生において法律が、そしてゲームにおいてルールがすべてではないと思えるなら、レベル3の視点からこの問題を見なければなりません。彼がやった (とされている) ことが悪いと決めるのは、ルールブックではありません。お互いを不当に扱ってはならないという社会契約に反し、ゲームで不正(*12)を働いてはならないという普遍的倫理原理に反したとき初めて悪いとされるのです。

ここまでのわたしの考えを言えば、そう、ルールはそれを不正と定めるものではあり得ません。もしそうならそれは常に失格になるはずですが、「遅いプレイ」(今回の遅延行為の形態はこれでした) では注意や警告が出るだけです。よって、社会契約や普遍的倫理原理だけが問われるのだとすれば、彼の (したとされている) 行動が不道徳だとの主張を覆すのは簡単です。

彼は自分の行動が不当なものとは思っていなかったので、社会契約 (「お互いを不当に扱わない」) に反しているとは考えていませんでした。彼はそれを不正だとも思っていなかったので、普遍的倫理原理 (「ゲームで不正を働いてはならない」) にも反していません。これについては第四章で更に詳しく述べます。

わたしは皆さんに心の中で彼を赦してくれと頼んでいるのではありません。そうではなく、皆さんが何故間違っているのか、どこで間違っているのかを理解して欲しいのです。「彼はルールに反した」はあまりに幼稚です。

全然関係ありませんが、信号無視をしたことはありますか? その話はまた第六章で。

■第三章 分かってませんね

斎藤の主張は、わたしの知る限り、自分は遅延行為をしていないというものです。彼は、たまたま時間切れが迫っているときに非常に難しい局面になったと言っています。その後、時間切れになってから局面が進み、単純な判断しか要さない状況になったとのことです。これが彼がプレイのペースを変えた原因であるようです。ホントかどうかわたしには分かりません。その場にいませんでしたから。皆さんも同じですけど。この記事は捜査特番ではないので、手掛かりを追って容疑者を特定したりはしません。ここでやりたいのは、この件が生じたときの状況と可能性とを確かめることです。

よろしければ次のストーリーをご一読下さい。


[ラウンドの終了間近、斎藤はかなり不利な状況です。彼は数ターンの間に5回も《精神を刻む者、ジェイス》を手に取ってテキストを読み、彼の対戦相手は時間切れのために勝ち切れませんでした。]


なんだか動かぬ証拠のように読めますね。誰もがそう感じるでしょう。しかし、このストーリーからは、そのとき起きていたことのすべては確認できません。誰の話かも書いてません。お分かりでしょうが、これは全くのでっち上げってこともあり得ます。これはわたしが多くの人から数え切れないほど聞かされたストーリーでして、そのほぼすべてが又聞きかそのまた又聞きでした。

ちっちゃい頃に「伝言ゲーム」をやったことはありますか? 車座に座り、誰かが隣の子に単語なりフレーズなりを囁きます。その子は反対側の子にそのメッセージを伝えます。全員が何かを聞いて何かを伝えると、メッセージは一周します。メッセージが最初にそれを送った人に戻ったときには、たいてい、最初に送ったのとは似ても似つかないものになっているわけです。

この話を聞かされれば聞かされるほどに、わたしは懐疑的になりました。話の詳細が口々に大きく異なっていたことは、その大きな理由です。メッセージは送り手から離れるほどに、真実からは程遠くなるのです。

では、直接見聞きした人から聞いたとしたら? それでも疑いは残ります。人はさまざまな理由でウソを吐くものです。例えば、嫉妬、皮肉、退屈、先入観、人種差別、などなど。ストーリーそのものは全くもって正しかったとしても、大事な部分をいくつか誇張すれば、それは意味を失い、実際何が起きたかを知り得ない誇大広告と化します。直接見た人でわたしに話した人が必ずしもウソを吐いたとは思いません。が、それも考慮には入れるべきです。

人は間違える動物でもあります。思い違いをすることもあれば、大事なことを言い忘れることだってあります。このストーリーから一体何が言えるというんでしょう?

それに、この話で繰り返し語られている通り、斎藤がカードを読んでいただけだという可能性は全くないんでしょうか? いや、もちろん、彼が《精神を刻む者、ジェイス》がどんなカードか知らないなんてことがあるわけがありません。でも、《ミシュラの工廠》はどうですか? この子は久しぶりの登場ですし、斎藤は普段からレガシーをプレイしているわけではありません。レガシー固有のカードとジェイスとの相互作用で分かり難いものがあったという可能性は考えてみるべきです。誰もやってませんけど。彼が繰り返し何度も時間を掛けて読んだという点については、皆さんにも日本語のマジックのカードを素早く読んで、なおかつ読み返さずに済ませてから言ってもらいたいものです。長い経験の賜物か、それとも勉強したのかは分かりませんが、彼の英語は実に達者です。とはいえ、それは標準的なアメリカ人と同様というわけではありませんし、ましてや読む方も達者であることを意味しません。

これらすべては一考に値します。これが不幸な偶然か、意図的な誇張かもしれない僅かな可能性をも無視して否定する者は、無教養かつ狭量です。別に上記を信じろとは言いません。が、見当違いの攻撃によって、このゲームとそのコミュニティ、あなたの回りの人々すべてを傷つける可能性を考えていないと言いたい。

■第四章 社会と道徳性

Alex Westの記事をご一読下さい(*13)。まず間違いなく彼のベストの記事です。

http://www.starcitygames.com/magic/misc/19882_Best_of_the_West_Greatness_at_Any_Cost.html

上記は、他者の視点で見てみることに関する記事です。酷く単純化し過ぎてはいますが。ある出来事や状況について、自分とは異なる考え方で見ることができれば、実際は何が起きているのか理解が進むことでしょう。韓国人が「Starcraft」(*14)で対戦相手のIPアドレスにスパム攻撃するのは、合衆国では不正と見なされます。一方彼らはそれを当然為すべき最善のプレイであるかのように考えています。彼らにとって、それが何を競うゲームであるかは、我々の感覚よりもだいぶ広いようです。しかしだからといって、彼らが全員品性下劣なヤツらかというと、もちろんそうではありません。そう考えるのは無教養かつ愚昧です。彼らは如何なるルールも破ってはいません。それなのにどうしてイカサマ師であり得るでしょう? 彼らは我々がルールだと思っているものとは異なるものをルールだと思っているに過ぎません。

ピンボール台を叩くのは不正ですか? それは誰に尋ねるかに依ります。バンプ禁止ルールを採用していない、大金の懸かったピンボールのトーナメントで、台をバンプしないプレイヤーは甚だ不利でしょう。彼らは、それは不正であり、他の連中はイカサマ師だ、と声を大に騒ぎ立てるかもしれません。で? 別段それは不正ではありません。

もしそれが不正だと思うなら、それは打ち消し呪文や土地破壊がせこいズルであって、そんなのを使うのはイカサマ師だけだとか言ってる連中と同じです。あるいは、格ゲーで、ある種の攻撃や一連の動作をズルだとか「ゲイ」だとか (気分を害されたらすみません) 言うのと同じ(*15)です。

不正とはそういうものではありません。自分でゲームのルールを作って他のヒトすべてを自動的にそれに従わせるようなことをすべきではありません。

それで、そのことと斎藤の件とはどう関係するんでしょうか。マジックには、遅延行為をしてはならないというルールが存在します。ならば、彼が実際遅いプレイをしたなら (この議論ではそうしたと仮定して話を進めます) 彼は不正をしたということです。よね?

倫理や道徳に関するほとんどの質問と同様、その答えは、「場合による」です。

「遅いプレイ」では、プレイヤーは失格になったりイカサマ師として追放されたりすることはありません。警告を受けるだけです (それもたいていはまず口頭で注意が与えられます)。もしもルールに単に

「遅いプレイ」 = 失格

と書かれているなら、彼は不正をしたことになるでしょう。が、そんなルールはありません。じゃあ、「遅いプレイ」は不正じゃない? いや、わたしは不正だと思いますし、その理由もあります。しかし、この件はわたしがやったわけではなく、彼がやったことです。彼の世界観では、おそらく、警告を受けることは大したことではないのでしょう。韓国ではIPアドレスへの攻撃が大したことでないのと同じことで。それは最善のプレイの一つに過ぎないのです。

バスケットボールではファウルは不正とは見なされません。それは競技の一部です。ファウルを犯したチームには一定の罰則が適用されますが、ある回数までは許容されます。ゲーム終盤では、ファウルしない場合よりもファウルして課されるペナルティの方がマシなために、意図的にファウルを犯すのが正しいケースがしばしば生じます。これは不正ですか? つまり、ファウルは競技の一部として許容されているわけです。それによってアドバンテージを得ようとするのは「戦術」と呼ぶべきものであり、「不正」ではありません。

マジックにおける警告を、バスケットボールのファウルと同様に考える文化や人々を想定するのはそれほど難しいですか?

もう一つ付け加えましょう。もしあなたが「わたしを対象に《エスパーの魔除け》を唱えます」と言ったとして、日本人プレイヤーはあなたに手札を2枚捨てさせようとすると思いますか?(*16) 森でさえそんなことはしないでしょう(*17)。が、正にそれによってケンジは泣くことになりました(*18)。さて、人の道に外れているのは誰でしょう?

■第五章 強迫的競技者(*19)

この章は非常に個人的な内容です。ここまでわたしが書いてきたことのほとんどは完全に客観的な内容でしたが、ここはAJ Sacherのチラシの裏です。ここでわたしは、イカサマ師と「強迫的競技者」との違いについて論じたいと思います。わたしは斎藤が後者であると信じているのですが。Travis Wooは斎藤に自制心があるのかどうか疑わしいと言ってましたが(*20)、わたしもそれには同意します。彼は単に勝って勝って勝って勝ちたいのです。負けそうなときでも、何とかしがみつこうと懸命に努力します。さて、彼はルールに違反したことになるんでしょうか? まあ、なるでしょうね。では彼は悪いヤツですか? わたしはそうは思いません。

好むと好まざるとに関わらず、また認めるか否かに関わらず、時間制限は競技の一部です。そうあるべきとは誰も思ってませんが、しかし実際はそうです。もしも遅いマッチアップで負けそうなら、次のゲームで勝ってマッチを終らせるのに十分な時間を残すために、2%の挽回の可能性を諦めてとっとと投了するのが「正しい」ことは多いでしょう。わたしはそれが最善だと思いますし、多くのプレイヤーがそれについてはわたしに同意すると知ってもいます。しかし、それって時計操作とほとんど同じことじゃありませんか? それらの間に思ったほどの違いがあるとは思えないんですが。にも関わらず、最後までゲームをやるように強制されることも、投了を許されないこともありません。おかしいですよね。これまたグレーな部分ということです。

かつてわたしは、斎藤がやった (とされている) ことをしたことがあったでしょうか? それは絶対にありません。わたしは、わたしの知る限り今日のプロ・ツアーにおいて最も不正を嫌う部類に属します。なので、もしもわたしがそいつの首を槍玉に上げろと怒鳴っていなかったとしたら、何か異論があるんだと思ってもらって結構です。

真面目な話、わたしが頭を串刺しにしてやりたいと思っているプレイヤーは何人もいます。が、斎藤さんに関しては確たる証拠がありません。数多くの告発があり、少なくない風評もありますが、彼をプロ・ツアーに (未だにたくさん) いるホンモノのイカサマ師連中といっしょくたにはできないでいます。そういう本当の下衆どもは、日常的かつ意図的に不正なアドバンテージを得ようとするものです。だいたい、膝の上から呪文を唱えたりダブル・ドローしたりゲームの状況を偽ったり言葉が通じないのをいいことにめちゃくちゃやったり《詮索好きなゴブリン》だったりサイドボードからドローしたり相手のデッキを覗いたり操作したり自分のデッキを編み込みしたりするようなのがいるってときに、ときどきプレイが遅いヤツのことを気にかけてるヒマなんてないです。

だからOKだと言うつもりはありません。わたしが既に知っていることを分かった上で彼と対戦することになったらジャッジを呼ぶでしょう。彼が何故こうも否定的な目で見られるかも理解できます。しかしながら、何としても勝ちたいという深く根差した動機から生じた機会犯罪(*21)とダブル・ドロー(*22)の違いくらいは分かります。

繰り返しになりますが、道徳とは幅のある概念です。彼はX軸の右側(*23)にいるかもしれませんが、ホンモノのクズどもといっしょくたにはできません。

■第六章 不正無き者最初に岩を投げよ(*24)

この章はここから始めましょう。Sam Stoddardがまたもや画期的な記事を書いています(*25)。

http://www.starcitygames.com/magic/fundamentals/20564_The_Danger_of_Small_Cheats.html

さて、確かにわたしもこのうちの少なくとも二つ三つはやった覚えがあります。みなさんだって同様でしょう。それには理由も言い訳もあるでしょうが、とはいえ不正には違いありません。単純明快です。今シーズンのグランプリでも、対戦相手が奇襲隊算をできなかったので、彼がわたしを殺すのを手伝ってやらねばなりませんでした。

2 ゲ ー ム と も。

それが如何に情けないことか分かりますか? 間抜けでヘタクソで開けっ放しの口から涎を垂れ流してるフン族が自分を殺すのを手伝わなきゃならないんですよ? ほんわかふわふわって感じじゃないのは確かです(*26)。とはいえ、トーナメントの残りの期間は嫌な気分にならなくて済みます。賞金の小切手が郵送されてきたときも、自らに恥じるところはありません。

今でも、ゲームの状態を正したりなんだりを躊躇う瞬間はあります。でも、わたしはその誘惑に全力で抵抗することにしています。Samが上の記事で雄弁に語っていますが、このゲームを競技としてプレイするというのはそういうことなのです。誘惑に打ち勝てない人々にも共感するところはあります。間抜けな対戦相手が何かやらかしたのはその人達のせいじゃないんですから。デッキにサイドボードのカードが入ってたって、結局それを引かない間に勝ったのなら関係ありません。

それは分かります。

でも、それは正しい選択ではないんです。それを理解していれば言い訳はできません。ただ、わたしには、よろしくない状況に置かれている人たちに共感する能力があると言いたいのです。彼らの両親も友達も、彼らに正しい価値観を教えませんでした。そしてゲーム (と資本主義社会一般) は彼らに、成功の鍵は目の前の障害を捻じ曲げ突破することにあると教えてきました。だからといってわたしがその場でジャッジを呼ばないということはありませんし、金やら何やらを貸してやったりもしません。ただ、ずっとこんなことをしてきたわたしなら、何かをすることはできます。

あなたはどうですか?

■第七章 キツいぜ、ベイビー。そりゃキツいぜ。(*27)

さて、斎藤はプレイが遅いことで有名であり、おそらくジャッジは「遅いプレイ」や「遅延行為」の監視をしていたことでしょう。とっつかまって失格になったとき、彼は声明を公表し、DCIにアピールを提出しました。そしてDCIは彼を18ヶ月の資格停止に処しました。それはこちらにある通りです。

http://www.wizards.com/default.asp?x=dci%2Fsuspended&tablesort=2

Lucas Siowが、同じかより軽い罰が、以下のようなケースで何度か与えられていると書いています。(*28)

  * 暴行 (Assault)
  * 非紳士的行為 (Unsporting Conduct)
  * マッチにおける詐欺 (Match Fraud)
  * トーナメントにおける詐欺 (Tournament Fraud)
  * ゲーム物品の不正操作 (Manipulation of Game Materials)
  * カードの追加 (Adding Cards)
  * 買収 (Bribery)
  * 偽証 (Lying)

さて、わたしには、これらの大部分は遅延行為よりもずいぶん悪いように思えるのですが、そうでもないですか? 何でまたこれほど重い判決なんでしょう?

それは、彼が注目を集めているプレイヤーだからです。

思うに、彼は見せしめにされたんじゃないでしょうか。イカサマは誰であれ許しませんよ、と示すために。6ヶ月の資格停止では手ぬるいと思ったんでしょう。初犯には適切な長さではありましょうが。

まあ、彼は初犯ではないよ、と皆さん言うことでしょう。ですが、彼の前回の資格停止は全然別の話で、100万年ほど昔のことです。今回の件とは関係ありませんし。また、彼が多くの警告を受けていたと言う人がいるかもしれませんが、皆さんが考えるほど多かったわけではないはずです。もしそうだとしても、何度も何度も同じ警告を受けてそれでも聞き入れずについにはイカサマでとっつかまったヤツを皆さんも知ってるでしょう。Olivier Ruel。で、彼が食らった判決は?

6 (・∀・) ヶ (・ω・) 月 ヽ(`Д´)ノ

今回彼らは断固たる立場を示すことを望んだわけです。そして斎藤はそのとばっちりを食らいました。彼は失格になるべきだったでしょうか? まあ、そうでしょう。資格停止されるべきだった? たぶんね。じゃあOlivierの三倍の長きに渡って資格停止されるほどのことだったんですか? あり得ません。

彼らがそんなことをする唯一の理由は、判例を作ることです。Ruelさんのときにやり損なったので、斎藤を見せしめに使おうというわけです。

■第八章 迅速な審理

通常、DCIの裁定には暫くかかるものです。以前には5ヶ月という例もありました。プロ・ツアー京都で、右側にBen Lundquist、左側にMarcio Carvalhoと並んでマッチを戦ったのを思い出します。Marcioは彼の対戦相手をマッチで出し抜いて正当にトップ32に勝ち上がり、レベル7の出場料(*29)も獲得しました。何週間かして、彼は京都から遡ること数週間の失格の件で資格停止されました。DCIがぐずぐずしていたせいで、彼はウィザーズの金4,000ドルかそこらと価値あるプロ・ポイントを余分に獲得したわけです。

それじゃ、斎藤をギロチンに掛けるのに三日と要しなかったのは何故でしょう?

きょうのことば:でんどー

彼らの大事な殿堂を守るため、彼を世界選手権に出場できなくするため、そしておそらくは殿堂入りセレモニーから除外するために、審理プロセスを早めたのです。そして彼はその業績を称えられ、母国のプロ・ツアーでプレイする栄誉に輝く代わりに、出場すら拒まれるでしょう。

あるプレイヤーを殿堂に入れておきながら資格停止するのは何とも具合の悪いことです。とりわけ、それまで「神聖な場所」(笑) を「イカサマ師」から守ってきたのであれば。殿堂の (失われて久しい) 高潔性を守るため、急いで決定する必要があったわけです。わたしは、これは如何にも性急かつ拙速だし、もしこれが起きたのが半年前だった場合に較べて重過ぎる判決ではないかと感じます。

裁定システムがここまで腐っているという事実に、わたしは腰が抜けるほど驚かされました。

■第九章 余談と結論

それで、この記事は斎藤にとってどんな意味があるんでしょう? それはわたしにも良く分かりません。とはいえ、彼は気の毒だな、とは思います。このゲームは彼の人生そのものですから、彼にとっては生じ得る最悪の事態でしょう。殿堂は彼にはすべてを意味するでしょうし、それが掻っ攫われる前に一度はその手にしたのですから。その者は店を経営し、取引し、旅をし、そしてプレイしています。それだけです。ああ、それから、タバコもやります。でも、それだけです。(*30)

さて、わたしは、彼に起きたことが当然の報いだったと思っているんでしょうか? それは言い難いですね。そんなことはない、と言いたい気持ちはあります。Martin Juzaが失格を食らったときにそうしたように。ただ、今回はそれとは違うかもしれないとも思うのです。彼との間の友情には深く思いを致しますが、彼にはやはり問題があります。おそらく有罪でしょう。捕まって罰され、服役することになります。彼に向けられているあらゆる風評の類と、今回彼に刻まれた聖痕にも関わらず、依然として彼はわたしがトーナメントで会いたい人たちの一人です。彼はいつもわたしを笑わせてくれますし、出会った中でも最も親切かつ礼儀正しい部類の人物です。素晴らしいプレイヤーであり、本当に偉大な男です。だから今回の件を聞いたときには動揺しました。

わたしは驚きはしませんでしたが、予想してたわけでもありません。彼が遅延行為以外のことで正式に非難されたところを見たことも聞いたこともありません。世の人々が彼を森やLong(*31)のような輩と同列に扱うのを見ると胃が痛くなります。しかしながら、彼がしていたことは過ちであり、いずれにせよやめさせなければならないことだったのです。

わたしは、彼に今回の制裁を課すには、たまたま敗北が引き分けになったことだけでは不十分だと皆さんに理解して頂けるときが来ることを望んでいます。このゲームの史上最高の経歴を持ちながら、彼の殿堂入りに投票しない人がいるのは悲しいことでしたが、今や彼の名前を汚いものでもあるかのように扱うのに何の躊躇もない人がいることが悲しいです。これらの要素を考慮し、わたしの議論を吟味したその上でなお彼を悪魔の生まれ変わりだと思うのならば、どうぞ思うさまインターネッツで毒を吐きまくって下さい。しかし、白でも黒でもない、我々みなが佇むこの灰色の領域から述べた拙い結語に理解を示して下さるのであれば、怖れと憎しみを乗り越えて思いやりと共感の方向へと大いなる一歩を踏み出せるのではないかと感じています。

もし誰であれ理解の無い人を見かけたら、ここにリンクして下さって結構です。ここのコメントはモデレーテッドであり、思慮深い書き込みしか受け付けません。おっと、「良く考えられた」という意味であって、「AJに賛成の」という意味じゃないですよ。

読んで頂いてありがとうございました。

-AJ Sacher, 書いたけど編集はしていない。(*32)

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緊急更新

いくつか言っておくべきことがあったので、この小記事を更新することにしました。

斎藤がしでかしたことを、如何なる意味でも大目に見る気は全くないことをはっきりしておきたかったのです。あの記事は、この件が起きてから広まった「ヤツは悪魔だとっとと吊るせ」症候群に対して異なる見立てを提示しただけです。事実、彼との友情にも関わらず、結論においてわたしは、おそらく彼は失格とそれに伴う資格停止に値するだろうと認めています (とはいえ期間が3倍長過ぎる気はしますが)。何でもかんでも黒か白かで考えるのではなく、事態を取り巻くさまざまな可能性について合理的に考え認識するということについて書いたのです。

いくつかの点について、うまく書けてなかったり誤解を招きがちであったことは分かってましたが、公表前に直すのはやめました。その決定を下したのは次の理由に依ります。

1.とにかくとっとと書いて、フォーラム住民やライターたちが大挙して死刑判決を出す前に記事を出したかった。
2.純粋に不満をぶちまけてるだけと見えるようにしたかった。というか実際そうだし。あと、もし自分の主張について議論するのだったら、その前に自分が以前言ったことを編集したりしない方がいい・・・って意味分かります?
3.微妙な件に関する感情的な文章だった。自説の編集は、自己検閲か自己検閲の抑制のどっちかに行き着かざるを得ないのは周知の通り。最初のリアクションのエネルギーを大事にしたかった。段落をいくつか修整したり、言い過ぎのところをカットしたりする道は間違った方向に続いている。
4.あれを書くのに5時間も使ったってのに原稿料は無し。あれはブログの記事であって、わたしにはその時間でやらないといけないことが他にもあった中で、頭と時間を割いたものだった。

とっくに分かってるよ、という方には申し訳ありません。それと、説明を「要する」と思ったわけじゃないです。あの記事のおかげで新たにわたしのページを読んで下さったご新規の皆さんにいくつか整理しておきたかっただけです。

このブログの今後の予定ですが、これから数日はSuspension story #3の記事の再々々々々々編集に費やすことになるでしょう。わたしが使いたくない言い回しやら、使いたい言葉やら、カットしたい無関係な文章なんかがまだありますから。まだ脱稿できません。なので、戻って手直しです。好意的な反応を頂くことが圧倒的ですが、まだ気がついてない部分で改善の余地があるように思っています。かように万事わたしはいい加減でだらしないのですが、こと書くことに関しては、忌むべき完璧主義者となるようです。

フィナーレ (part 4) と、余談というかおまけのストーリー (たぶん part 5) については、暫く発表できないんじゃないかと思います。たぶん、一ヶ月とちょっとくらい。マジックの大会とその準備がありますから。

その間、わたしは facebook も見てますし、 Twitter (hudbot) もやってます。 TCGPlayer.com のコラムニストでもありますし、何故か YouTube チャンネル (TheAJSacher) も持ってます。AJ切れでお困りってことにはならずに済むかと。

ありがとうみなさん。

-AJ Sacher

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